歴史散歩

2015-5-26

寺町通り(鞍馬口から荒神橋)探訪

明光寺→閑臥庵→上禅寺→出雲路橋→天寧寺→西園寺→上御霊神社→光明寺→阿弥陀寺→十念寺→
佛陀寺→薩摩藩墓所→本満寺→御所(昼食)→本禅寺→清浄華院→廬山寺→護浄院→荒神橋



天寧寺 額縁門の前で記念撮影                            ゴールの荒神橋で解散

閑臥庵の門前で                出雲路橋から比叡山を望む               天寧寺 額縁門

出雲路橋や天寧寺 額縁門を通して比叡山(四明嶽)は美しい三角形のシルエットを見せています。
ゴールの荒神橋は少し南になるので、重なっていた大比叡が現れ、ピークが二つに見えます。


上御霊神社 楼門                上御霊神社 舞殿                      阿弥陀寺  

織田信長 その子信忠の墓             十念寺                             薩摩藩墓地

    本満寺                        蓮乗院(鶴姫)の石廟
徳川家康の次男・結城秀康の正室、蓮乗院(鶴姫)の石廟があります。1607年、秀康の死後、蓮乗院は公家の烏丸光広(1579〜1638)
の正室となって、元和七年(1621)に亡くなっています。石廟は夫の烏丸光広が、御所と関係が深かった本満寺に建立したもので、
かつては極彩色の天女や仏像の浮き彫りが施されていた豪華な石造物とのことです。(京都通百科事典から引用)


廬山寺                         慶光天皇陵                    御土居 
歴代の天皇表の中に名前がない慶光天皇のいわれを聞きました。 119代光格天皇の実父は閑院宮典仁親王といい大臣よりも低い位でした。
光格天皇は父に太政天皇の尊号を宣下しようとしましたが、老中松平定信は皇位につかない私親の尊号宣下は名分を乱すとして反対しました。
結局、閑院宮典仁親王はそのままの身分で崩御、何度も承認を得ようとした朝廷側の人間も閉門、逼塞などの処分を受け光格天皇の願いは絶
たれました。59年の時が経って閉門の処分を受けた中山愛親の玄孫(やしゃご)の中山慶子が121代孝明天皇の子 祐宮を産み この子は
1867年(慶応3年)16才で天皇になります。明治天皇です。明治天皇は1884年(明治17年)典仁親王に慶光天皇の号を追贈しました。光格天皇の
くやしい思いは、徳川幕府を倒した、この直系の子孫によって晴らされることになりました。 廬山寺はこれ以外にも紫式部が源氏物語を書いた場所
といわれたり、秀吉が作った御土居の一部が残っていたり見どころが沢山でした。京都生まれ、京都育ちが知らないことが盛りだくさんの一日でした。