老春切符の旅+歴史散歩共同企画
2016-12-13
岡山県吉永 閑谷学校・備前焼ミュージアム

長岡京→高槻→姫路→相生と乗り継ぎ吉永に着きました。コミュニティバスには
全員乗れずタクシーも使って閑谷(しずたに)学校に向かいました。

岡山藩主 池田光政は、幕府が推奨していた朱子学を嫌い、陽明学・心学を藩学として
実践していました。体制維持に都合のよい、権威に従うという朱子学の考え方ではなく、
自らの責任で行動する心の自由が大切であるという考え方です。
光政は「経世済民」=世を治め、民を救うという考えから、藩内に庶民ための手習い所を
123か所作りました。さらに1670年 和気郡延原の地に庶民のための学校建設を津田永忠に
命じたことが閑谷学校の始まりです。

小雨の中、イノシシなどの侵入を防ぐため、ぐるりと廻らされている石塀の話を聞きました。
特徴として上部が蒲鉾型に丸くなっています。使用されている石や小石がよく洗われているため
石塀内部に土が無く、そのため石の隙間から草が生えないとのことです。
 
石塀の説明を聞いています

紅葉の時期が済んでいたので人影もまばらです。
 
楷の木と孔子廟                      講堂(国宝)
 
講堂の内部 よく磨かれた拭漆仕上げの床                火灯窓        
 
講堂の屋根と建物は一体に成っていないので耐震性にも配慮されています。
 
焼き締めた備前焼の屋根瓦            排水 通気のための陶管
 
雨水排水のため、暗渠が下に設けてあるとのことです。
 
屋根瓦の紋は防火のまじないで河骨(こうほね)の花になっています。 こうほねの花(参考まで)   
 
火除山に向かう通路             明治38年に建てられた資料館
 
孔子を敬うため、孔子廟に隣接する閑谷神社は基礎が下げてあります。      椿山         

以前閑谷学校を訪れたときは講堂の良さが解らず、資料館の展示物ばかりに気を取られた
ことが恥ずかしくなりました。

備前片上駅まではタクシーで向かい、そこから伊部駅まではJRで出ました。
近くの大衆食堂で各自昼食(なかなかの物でした)を取り、備前焼ミュージアムへ向かいました。
備前焼=ヒダスキと思っていたのですが、色合いの違うものが沢山陳列されていました。
撮影禁止でしたので残念ながらご紹介できません。

旅の最後 JR伊部(いんべ)駅で記念撮影

「おまけ」
吉永駅の近くに、側面が隙間だらけで白い粉が付着した木造の古い建物がありました。
今回の旅で水簸(すいひ)したクレーの乾燥場所であることが解りました。
長年の疑問が一つ解消しました。
水簸=粘土を水に溶かして、軽いものを洗い流し比重差で不純物を取り除く方法

吉永、備前片上、伊部などのJRの駅が無人になっていたり、管理が民間に
委託されていたりして時の流れを感じました。