2010-11-25 定例会 司会:中森 ハーバード大学 白熱教室 Michael Sandel より 「アフガンのヤギ飼い」 正義とは(ジレンマ)? ・・・・・アフガニスタンのヤギ飼い・・・・・二〇〇五年六月、アフガニスタンでのこと。マーカス・ラトレル二等兵曹は、米海軍特殊部隊のほかのメンバー三人とともに、パキスタン国境の近くから秘密の偵察に出発した。任務はオサマ・ビン・ラディンと親交の深いあるタリバン指導者の捜索だった。情報によれば、目標とする人物は一四〇ないし一五〇人の重武装した兵士を率いており、近寄ることの困難な山岳地帯の村にいるとのことだった・・・・・特殊部隊が村を見降ろす山の尾根に陣取ってまもなく、一〇〇頭ほどのヤギを連れた二人のアフガニスタン人農夫と一四歳くらいの少年に出くわした。武器は持っていないようだった・・・・・米兵たちは彼らにライフルを向け、身振りで地面に座るよう命じ、どうすべきか話し合った・・・・・このヤギ飼いたちは非武装の民間人らしい。とはいえ、もし解放すれば米兵の存在をタリバンに知らせてしまうリスクがあった・・・・・どんな方策があるかを考えながら、四人の兵士はふとロープを持っていないことに気づいた・・・・・そのため男たちを縛りあげ、新たな隠れ家を見つけるまでの時間を稼ぐことはできなかった・・・・・選択肢は、男たちを殺すか解放するかのどちらかしかなかった・・・・・ラトレルの戦友の一人は殺すことを主張した。「われわれは敵陣に潜んで作戦を遂行中だ。ここには上官の命令で送り込まれた。自分たちの命を救うためなら、あらゆることを行なう権利を持っている。軍人として何を決定すべきかは明らかだ。彼らを解放するのは間違っている」・・・・・ラトレルは迷った。「心のなかでは彼が正しいとわかっていた」とラトレルは回想記に書いている。「どう考えてもヤギ飼いを解放するわけにはいかなかった。しかし困ったことに、私にはもう一つの心があった。キリスト教徒としての心だ。それが私にのしかかっていた。武器を持っていないこの男たちを冷酷に殺すことは間違っていると、何かが心の奥でささやき続けていた」・・・・・キリスト教徒の心とは何を意味するのか、ラトレルは述べていない。だが結局、彼の良心はヤギ飼いたちを殺すことを許さなかった。ラトレルは解放すべしというほうに事態を決する一票を投じた(三人の戦友のうち一人は投票を棄権した)。ラトレルはその一票を悔やむことになる・・・・・ヤギ飼いたちを解放して一時間半位した頃、四人の兵士はAK48自動小銃や携行式ロケット弾で武装した八〇人から一〇〇人ほどのタリバン兵に包囲されていることに気づいた。その後の激しい銃撃戦で、ラトレルの三名の戦友は全員戦死した。そのうえ、ラトレルたちシールズ・チームを救出しようとしたヘリコプターも撃墜され、一六人の兵士が命を落とした・・・・・ラトレルは重傷を負ったが、かろうじて生き延びた。山腹を転がり落ちると、一二キロメートル近くを這ってあるパシュトゥーン族の村にたどり着いたのだ。村人たちは救助が来るまでラトレルをタリバンから守ってくれた・・・・・兵士たちのジレンマを難しくした要因の一部は、アフガン人を解放したらどうなるか、はっきりしないことにあった。彼らはそのままヤギを追っていくだけか、それともタリバンに知らせるか、その点が不明だったのだ。だがラトレルが、ヤギ飼いを解放すれば悲惨な戦闘を招くことになり、結果として一九人もの戦友が命を落とし、自分も負傷し、任務は失敗すると知っていたらどうだろうか。ラトレルは違う決定を下していただろうか・・・・・
朝日新聞本社より取材 記者:沼田 千賀子→リンク