講演会 「長岡天満宮を訪ねて」 古今伝授の間ゆかりの地
2015-8-6 バンビオ1F + 長岡天満宮


元長岡京市生涯学習課課長 中尾秀正氏をお迎えし、長岡天満宮の歴史的背景について講演と現地での説明をお願いしました。
古今伝授とは勅撰和歌集である古今和歌集の解釈を中心に歌学や関連分野に関する秘伝の奥義を師匠から伝承することです。
また歌の解釈だけでなく、重大な秘密を解くための暗号のようなものとも言われています。三条西実枝(さねき)は実子公国が幼いため、
後年「返し伝授」を約束させた上で、1574年勝竜寺城で当時長岡の地を治めていた武将で、文化人でもあった細川幽斎に古今伝授を行いました。
1600年田辺城を守備していた細川幽斎は石田三成勢15000名に攻め込まれて2か月間籠城、古今伝授の断絶を恐れた八条宮智仁が
兄 後陽成天皇に奏請、勅命により関ヶ原の戦いの2日前 9/13に講和が成立した。結果として15000名の軍勢は田辺城に釘づけ、
9/15の関ヶ原の戦いに間に合わず徳川家康の勝利、細川幽斎も命拾いしました。

1. 「村の社」から「宮の社」へ                                                             
江戸時代の初期に開田村が八条宮家の領地になりました。初代八条宮智仁、1600年細川幽斎から古今伝授を受けた二代智忠親王は、
1638年古今伝授を受けた建物を御所から開田天満宮に移築し、開田御茶屋と呼んだり、八条が池の築造を行いました。
八条宮家は1689年境内を大整備し、長岡天満宮とし、1776年から外構が整備されました。

2. 「宮の社」から「村の社」へ                                                            
明治維新で宮家領が上知される。1871年開田御茶家は解体、細川家に引き渡され、1912年熊本の水前寺成趣園に
古今伝授の間として再建される。 2010年古今伝授の間の解体修理が完成。
1895年平安遷都1100年を記念し、桓武天皇を祭神として長岡天満宮本殿創設。
1941年平安神宮から移築された本殿、祝詞舎竣工 
2012年長岡天満宮の境内に「古今伝授の間ゆかりの地」の石碑が建立される。

 

  
「古今伝授の間ゆかりの地」石碑                                            土塁           
  

  
手水舎は祝詞舎が移設されたもので鉤が残っている