2021-7-24 カスケードバレーから摩耶山
阪急六甲駅からバスで護国神社まで行き、歩行開始です。杣谷川に沿って登っていきます。所々に土石流を防ぐ砂防堰堤があります。
杣谷川は小滝が連続しているところからカスケードバレーと呼ばれています。
山頂に近づくと階段です。
掬星台(きくせいだい)に到着です。涼しい谷歩きと思っていましたが、予想以上に疲れました。ロープウェイとケーブルカーで下山することになりました。ハイキング分科会の下見も兼ねてきましたが今回も採用不可です。
投稿者:津田叔男
2021-7-24 カスケードバレーから摩耶山
阪急六甲駅からバスで護国神社まで行き、歩行開始です。杣谷川に沿って登っていきます。所々に土石流を防ぐ砂防堰堤があります。
杣谷川は小滝が連続しているところからカスケードバレーと呼ばれています。
山頂に近づくと階段です。
掬星台(きくせいだい)に到着です。涼しい谷歩きと思っていましたが、予想以上に疲れました。ロープウェイとケーブルカーで下山することになりました。ハイキング分科会の下見も兼ねてきましたが今回も採用不可です。
投稿者:津田叔男
2021-7-22 ヨーガ分科会
今月は8人出席でした。暑くなってなかなか家では練習できないようです。腕の筋肉維持のため、膝をつけて腕立て伏せをしています。
魚のポーズを簡単にしてやっています。足首を曲げて踵で床を押す。同時に手の平を握り締めて、曲げた肘で床を押す。踵と肘で床を押して上体と腰を浮かせています。
投稿:津田叔男
2021-6-26 京北トレイル 細野→魚ケ淵→黒尾山→周山城址→周山
周山行きのJRバスで京北トンネルの手前の細野まで行き歩き出しました。山道に入ると意外に急な登りです。
一山超えるともうすぐ桂川の上流に出ます。
この辺りは魚ケ淵と呼ばれつり橋がかかっています。この上流はアユ釣りが盛んです。ここで早い昼食です。
昼食後の黒尾山(509m)への登りはキツイです。頂上はあまり展望がありませんが、南側に三頭山(みつづこやま 728m)が見えます。
山頂から東へ、明智光秀が築城したという周山城址を目指します。思ったより広く、石垣の跡や掘割が残っています。
まだまだ奥には山が連なっており、その間に集落が点在しています。あとは周山の道の駅に下りるだけです。
投稿:津田叔男
今日(6月22日)の朝日新聞の「天声人語」の書き出しに驚きました。
「まだ沖縄が日本ではなかった1960年代。」と書かれています。1960年代、確かに沖縄は日本の施政権下にはありませんでしたが、それを「日本ではなかった」と言っていいのでしょうか。日本であるのに日本本土から切り離されて米国の施政権下に置かれていたのではないでしょうか。
「天声人語」は短い文章で表現するため、そういう表現になっただけだと言うかも知れませんが、沖縄県民を含む日本国民の「感情を逆なでしている」(同じ今日の天声人語より引用)表現ではないでしょうか。
(水口)
2021年9月11日は、アメリカ同時多発テロから20年目に当たります。アメリカが、日本の真珠湾攻撃以来のアメリカ本土に対する最悪の攻撃となった日でもあります。
小生はその2週間前に、イギリスに行ってクレーム処理をするよう申し渡されたのです。
日本の自動車会社へ収めていたセフテイ部品の不具合が発生しました。納入した部品は、メーカーの日本の購買部門から下請けに有償支給され、イギリスで新規に自動車工場を操業するための制御盤に搭載され、イギリスのダービー工場に出荷にされたのでした。その出荷された制御盤に搭載された不具合部品800個を交換する任務でありました。
品質保証部門の所属ではあったが、客先へのクレーム処理の経験もなく、ましてや言葉は英語であり、イギリスへの渡航経験もなかったのです。通常、客先からのクレーム処理の担当は、工場が当たっていたのです。ところがその時は、工場では新商品の立ち上げと工場内での不具合が重なり、工場からの人員の派遣は難しかったのです。ただ、一人工場からの技術者がドイツにいたが、すぐには合流が難しかったのです。
そんな中、事業部スタッフと研究部門の技術者によるチーム編成が行われました。品質保証部門から、TOEIC750点ではあるが英会話の経験がないK氏と、研究部門の若手のÝ氏に、小生を含めて3名と、工場技術者のK氏の計4名でありました。
事前に日本の自動車工場を見学し、制御盤にどのように装着されているかを学び、該当のイギリスに出向いたのです。ヒースロー空港で下り、スーツケース等の荷物を取り出すため待ち合いしていると、荷物がほうり投げられていました。日本では考えられない行為に驚きました。空港を出て予め予約しておいたレンタカーで宿泊先のペンションに到着しました。ところが、到着しているはずの作業着等が未着で、空港に連絡しても埒が明きません。仕方なくイギリスの街に出て作業着を用意しました。
ダービーの工場に行くと、新規立ち上げの日本の責任者と面会したが、納入された制御盤の配置図もなく、自分達で工場内を探さなければなりませんでした。「君達の会社から不良品を納入したのだから、不良品を探し出し、良品に交換してくれたらそれでいいのだ。自分達は新規に工場立ち上げのため、君達に構っていられない。」という態度でありました。「そこにある安全靴、安全眼鏡、ヘルメットを装着して工場内に入るように!!先日も天井からスパナが落ちてきて手を怪我したからね。」という対応でありました。仕方なく、工場を見て回り制御盤を探し当て、図面を作ることにしました。
工場が操業しているので、交換は工場の操業の空き時間しかできませんでした。ボスらしき人物を探し当て、段取りを打ち合わせました。
昼食時と就業明けの時間を見計らって交換していきました。数十台の溶接ロボットが音を立て稼働している階上の制御盤や、400Wの制御盤等怖さを抱えながらの作業をしました。
2週間は瞬く間に過ぎ去っていきました。ペンションの食事は塩辛く、夜遅くに市内に行きイタリア料理、ベトナム料理、中華料理等を梯子しました。
作業が遅くなればなる程、就業前に旨く稼働するかチエックが必要でありました。
ところが、2001年9月11日(火)にイスラーム過激派テロリスト集団アルカイダによって行われた、アメリカ合衆国に対するテロ攻撃=アメリカ同時多発テロ事件が発生しました。会社の上司の取締役H氏から夜中の2時頃に電話があり、同時多発テロ事件の発生で、アフガンでの高射砲による民間機襲撃の危険があるので帰国は落ち着いてからとなりました。
有償支給品の下請けによるねこばば、良品であるが電圧の違い、ライバルメーカの不良品による通電不良などを克服して帰路に就きました。
バーミンガム空港に着いたら、小生がトイレに行っている時に、空港でぼや騒ぎになり、警官が空港を取り囲み、空港から出てくる人にピストルを向けフリーズと言ったのです。アメリカで日本人が隣の住人のところに行った時、ピストルを持った隣人がフリーズと言ったのに止まらなくて射殺された事件があったのを覚えていたので停止しました。もし、知っていなかったら恐ろしいことが起こっていたのです。
バーミンガム空港からアムステルダム経由のKLM機で、日本に当日中に帰国する必要がありました。ところが、火事騒ぎで出発が遅れアムステルダム到着も遅れました。日本行き直行便は既に出発していました。韓国便なら間に合いますとのことで、交渉して、韓国経由日本行きの飛行機に搭乗して無事帰国できました。
余談ながら、3席空いていてビジネスクラス1席、他はエコノミークラス2席、料金は同じで、私がビジネスクラスに載せてもらうことになりました。しかし、隣席は、オランダの島でレストランを経営する人の息子でありました。英語で話しかけてくるので、英語の会話の本で何とか切り抜けたが、閉口しました。
投稿:川﨑泰弘
2021-6-17 ヨーガ分科会
緊急事態宣言が出て、バンビオが使用できないため、4月、5月はお休みでした。自宅で練習していただいていましたが、久しぶりで少々動きが硬そうです。今月は自粛を続けられている方もあり5名の参加でした。左右に繰り返し揺れて体側を伸ばしています。
今回は呼吸法も始めました。お腹に手の平を当てて、腹式呼吸をしています。普段は無意識に呼吸をしていますが、この自動制御から外れて、意識的なゆっくりとした深い呼吸をする。吸う時間の2倍の時間をかけてゆっくり息を吐く。吸うとお腹が膨らみ、吐くときにはへこみ、呼吸が意識化できます。副交感神経が優位になりリラックスしてきます。
投稿:津田叔男
2021-5-22 桃山 鷹峯連山 左大文字火床
阪急で四条大宮にでて、市バスで鷹峯源光庵で下車。西へ向かい農林橋から川沿いに歩き、桃山(466m)に登りました。南の原谷の集落まで下り、常信寺の境内で早い昼食にしました。しょうざんゴルフ練習場のそばを抜けて鷲ケ峰(314m)に登りました。意外に急登です。
鷲ケ峰から左大文字(231m)へ。さらに南に向かい火床に出ました。少し雨が降り出し京都市街が霞んでいます。この火床は柱状の石組みでその上で火をたくようです。
少し下りると、池の手前に金閣寺が見えます。屋根の上も金色だったのですね。
3/23に歴史散歩で行った北野天満宮、平野神社、わら天神の木立が見えます。
比叡山と手前には佛教大学の校舎が見えます。右方向の銀閣寺の近くの大文字山は雨で霞んで見えません。
同じ道を引き返し鷹ケ峰(260m)に登り、金閣寺に下りました。「男の居場所」の会のハイキングの下見を兼ねてきたのですが、道が荒れていたり、麓が私有地で通れないところがあったり、コースを再考する必要があるようです。
投稿:津田叔男
第1回定期走行会
約20キロ木津川沿いの堤防を走行、前方200度快適なパノラマ景色を見ながら流れ橋に到着、三密避けて、野外でお弁当を頂きました。
流れ橋で
ゴール後解放された姿 調子八角(集合・解散場所)で
我が会の特徴
① あくまで安全第一で、周りのチームに道を譲りながら安全走行
② ヘルメット被り、水筒必携
③ 約半数は電動アシスト自転車で、坂になると何故かスイスイ
走りながら充電できる自転車もあります。
新規会員募集中です。
(是永)
2021-4-24 北山・大見尾根
標高759mの花脊峠までは京都バスのお世話になり、滝谷山(876m)を目指しました。845mのピークを越えてから、国土地理院の地図には書かれていないルートで、大見尾根の踏み跡を辿りました。標高の高い所はあまり緑がありません。
少し下りてくると緑の木々があります。新緑がまぶしいです。
877m、771mの無名のピークを経て小野谷峠に出ました。
後は小野谷に沿って大布施まで下るだけと思っていましたが、倒木や道が崩れていたため意外に時間がかかりました。集落の手前でシャクナゲが咲いていました。
投稿:津田叔男
2021-4-11 比良 イン谷口→金糞峠→八雲が原→ダケ道→イン谷口
比良駅からバスでイン谷口まで行き、正面谷を詰めました。青ガレの急斜面を登っています。
金糞峠はもうすぐです。
武奈ヶ岳は体力的に無理と判断し、金糞峠から八雲が原に向かいました。バイカオーレンが咲いています。
湿地帯にはミズバショウが咲いていました。
ここでもタムシバが青空に映えています。
比良スキー場跡を抜けて、稜線に出ました。もうすぐ北比良峠ですが、道が風化して崩れています。
北比良峠から琵琶湖方面の展望 近江舞子、遠くに沖島が見えます。ダケ道を下って元のイン谷口にでました。
投稿:津田叔男
2021-3-23 歴史散歩
今出川通り周辺の散策は昨年の11/10に行いましたが、途中で終わっていました。続きは堀川中立売から出発です。昭和21年2月8日夜、北野神社から京都駅に向かう最終のチンチン電車が満員の米兵やダンサーを乗せて下り坂の右カーブを曲がり切れず脱線、転落したという話を聞きました。運転していたのは酔った米兵でスピードの出し過ぎが原因でした。
狭い通りの向かい側にある西陣電話局の説明を聞いています。
1921年(大正10年)に建てられた西陣電話局です。岩元禄(いわもとろく)設計で裸婦像があり当時としては画期的なデザインでした。西陣電話局はいまは京都市の文化遺産に指定されています。
当時お医者さんが住まわれていたというお屋敷です。ベランダや丸窓がモダンです。
安倍晴明を祀った晴明神社に到着です。
なぜか扉に付けられた金属製の五芒星が地面に反射しています。
西陣織会館内に立つ村雲御所跡の石碑。豊臣秀次は秀吉の養子になっていたが、対立して自害、秀次一族を弔うために瑞龍寺が建立された。日蓮宗の門跡寺院および勅願所になり村雲御所と呼ばれた。瑞龍寺は現在は近江八幡の八幡山に移転している。
昭和10年6月の堀川の氾濫で地上四尺(約1.3m)まで水が上がってきたことを示す石碑。住宅街の中に横向きに建てられているので分かりにくい。
西陣中央小学校の南側にある観世稲荷社。学校の敷地内で入れないためこの奥にある観世井と呼ばれる井戸の話を聞いています。京都の北側と西側から流れてくる伏流水で井戸水の水面が波立っていたことから、観世水と呼ばれる波形の文様が生まれました。そこから鶴屋吉信の「京観世」、俵屋吉富の「雲龍」と呼ばれる断面が渦巻き状の和菓子ができたとのことです。
首途(かどで)八幡宮 金売吉次の助けを得て、源義経が奥州平泉に赴く際に道中の安全祈願をした所。このことから旅立ち、旅行の安全の神として信仰を集めている。首途八幡宮は金売り吉次の屋敷跡といわれている。
上七軒を抜けて北野天満宮へ到着。昼食後、神社を北へ抜けると西陣名技碑があります。上七軒つながりで名妓の碑かと思ったら、伊達彌助という美術織物の発展に貢献した技術者(名工)の功績を讃えたものでした。
平野神社に到着。 桜が咲いていて歩き花見ができました。
最後は京都人にとっては安産祈願のわら天神に到着。
境内の床几に腰かけて一服。少しお疲れか、硬い表情の記念写真になりました。
投稿:木村嘉男
2021-3-30 赤坂山
JRマキノ駅からバスでスキー場へ。 雪の無いゲレンデはグラウンドゴルフ場になっていました。
タムシバが咲いていました。
以前、新緑の西山を見ていた時に見つけた白いを花をタムシバと教えていただきました。近くで見るとこんな風に咲いていたんですね。
この花はイワウチワというらしいです。沢沿いの急斜面に咲いていました。
820mくらいの山ですが日当たりの良くない箇所には雪渓が残っていました。今シーズン初の雪上歩きです。
いよいよ赤坂山山頂が見えてきました。
投稿:津田叔男
2021-3-21 雪野山
別名龍王山といわれ、平野のなかに細長く、龍が寝ているような形の山です。ミツバツツジが咲く山道を歩いています。
ミツバツツジです。
可憐なショウジョウバカマ(猩々袴)です。
雪野山の山頂が見えてきました。
稜線からの展望です。緑色にみえるのは麦畑です。
投稿:津田叔男
2020年度第3回グランドゴルフ大会が2021年3月26日(金)一休ゴルフクラブで11名の参加で開催され、桜満開の中花見を兼ねた素敵なグランドゴルフ大会でした。
投稿: 岸本 裕次
2021-3-25 ヨーガ分科会
今月は8名参加です。耳、頭皮、足指、脛、ふくらはぎなどのマッサージから始めました。アイソメトリックのアーサナは息をこらえて頑張ると血圧があがるので「ア・ウ・ン」などの声を出しながら行いました。声が体に響くのが感じられます。相撲が始まっていますので四股を踏んだ姿勢から両手を合わせて頭上に伸ばし、足腰を鍛えました。
これはプランクと言うポーズで体幹を鍛えています。腰高の姿勢が気になります。ヨーガは人と比べないといいますが、なんと前列中央のKさんが一番よくできています。
投稿:津田叔男
2021-3-19 嵯峨富士 長尾山 ハイキング
年度末が迫っての駆け込み企画でしたが8名参加しました。阪急嵐山駅から天龍寺まで歩き、市バスで山越まで。ここからスタートです。嵯峨富士(遍照寺山)の手前の展望地で小休止、広沢の池が見えます。
池の反対側は桜が咲いていますが、造園業者さんの売り物かもしれません。
稜線を辿らずに、山腹を横切って少し楽をしました。
長刀坂への下りはやや急なので、注意して下りていきます。
余裕の表情で長尾山の山頂に向かっています。
長尾山山頂で昼食にしました。まぶしいのか絶景に背を向けています。
三角点はどこかと探していたらMさんが座っていました。
大沢の池が真下に見えます。
出発前に記念撮影です。
京見峠まで下ってきました。嵯峨天皇陵まであと少しです。
Sさんが座った姿勢から片足で立ち上がれることを見せてくれました。まだまだ余力が残っています。
愛宕山が良く見えます。
嵯峨天皇陵で記念撮影。
眼の前の石段を下らずに、元の道に戻って谷筋を下り有栖川沿いの林道に出ました。大覚寺のバス停まで歩きそこで解散しました。皆様お疲れさまでした。
投稿:津田叔男
2021-3-14 高円山 芳山 若草山
奈良市内の東側にある春日山原始林を訪ねました。百毫寺の南側から登山開始です。高円山(たかまどやま)にはお盆の送り火の大文字の火床があります。大文字は京都だけではないようです。
芳山を経て若草山に出てきました。急坂を下りようとしたのですが閉山中で途中のゲートが閉められていました。無理に下りて、麓の料金所から出られない事態が想定できましたので、山頂の駐車場の傍にある交番で道を尋ねました。(初めてのことで笑ってしまいます)。
教えていただいた、なだらかな坂道を下っていきます。時間はかかりましたが膝には優しかったようです。
投稿:津田叔男
2021-2-27 嵯峨富士 長尾山 曼荼羅山
広沢池の東側から取り付き、嵯峨富士から長尾山を目指しました。
頂上付近からの展望です。大沢池、嵐山から向日市、長岡京、八幡方面まで見えます。
愛宕山が近くに見えます。
曼荼羅山へはシダ類が覆いかぶさった道を登ります。
曼荼羅山山頂です。京都五山送り火の一つ 「鳥居」の火床です。燭台のような形状で、大文字山の火床とは異なっています。
投稿:津田叔男
2021-2-18ヨーガ分科会
本日は所要がある方が多く参加者は6名でした。空調が入っていなくて寒いので、いつもと順番を変え体を動かすアイソトニックトレーニングから始めました。今月の写真は体側を伸ばす半月のポーズです。下半身はできていますが上半身は思ったように伸びません。肩、背中、腰は浮かしてはいけないので意外に難しい。
立位で体側を伸ばすアーサナです。それぞれのペースで行っていますので、ばらばらに見えますが気にしないでください。
投稿者:津田叔男
NHKのオリンピックについての世論調査で、「開催すべき」が昨年12月の調査で27%、今年1月の調査で16%だったのが、今年2月の調査では何らかの形での「開催」が55%と大幅に増加しています。
これには調査方法の変更が大きく影響しています。
まず、2月調査では、前回までの「開催すべき」を、「これまでと同様に開催」・「観客の数を制限して開催」・「無観客で開催」の3つに分けています。これは最近いろんな形での開催が取り沙汰されており、ある程度納得できます。
次に、これまでの「7月からの開催について、どう思いますか。」という質問を、「どのような形で開催すべきだと思いますか。」と開催を前提にした質問に変えています。
さらに、1月調査で39%と最も多くの人が選んだ「さらに延期すべき」の選択肢を抹消しています。これまでの調査で示された世論を否定するかような変更です。
これらの変更を合理的に説明するには、「これまでの調査とは全く別の、開催時期を問わず開催方法だけに着目した調査に変えた。」というしかないと思います。
そうであれば、「開催」の55%の中には、たとえば「延期して外国人観光客を入れずに開催」など「さらに延期すべき」という意見も含まれるということになりますね。
世論調査結果の発表にあたっては、それらの点も含めて誤解の生じないように丁寧に説明していただく必要があったと思います。
(水口)